2012年06月23日

慰霊の日・・・・屋嘉節を聞く・歌う

 
慰霊の日・・・・屋嘉節を聞く・歌う
実家の裏にくばの木があったので父を思い出します。

慰霊の日・・・・屋嘉節を聞く・歌う



父や兄が元気だった頃は、毎年6月23日、慰霊の日は平和の礎(いしじ)に出かけました。
しかし、父も亡くなり兄は認知症で施設におり、私は介護・・
この数年だれも平和の礎(いしじ)には行っていません。でも正午の時報に合わせて
孫たちと一緒に南の方角を向き不戦への誓いをしました。
残念なのは子供たちを平和の礎に連れて行かなかった事。
家族で受け継いでいってくれる人がいません。私の祖母や兄弟が眠ているのに。


 慰霊の日で私が思い出すのは「屋嘉節」
この歌は歌うだけで涙が出るのに大好きな歌です。
戦争で亡くなった兄弟や祖母を偲ぶ歌で、
今は亡き父母を偲ぶ歌でもあります。
しかし「屋嘉節」は演奏や声質にもかなりのこだわりがあります。
ユーチューブでKANKARA PV聞きました。
彼の祖父 が残した「屋嘉節」というのに惹かれました。(以前の記事)

 子供を亡くしサイパンで死のうと崖に座っていたという父母が
悲しみを乗りこえたお陰で、私は生まれ、平和な世の中で
家族ができ孫にも囲まれ、こうして幸せに過ごしています。
オットー オッカー ありがとうネー 
この幼子達もこれから平和の世の中にいるように見守っていてねー
 ウートートー

沖縄戦では20万人もの人が死んで行った。
残された人々も収容所で過酷な労働を強いられ、想像を絶する状況の中、
米軍から支給さ れたミルクの空き缶に壊れたベットの足を差し、パラシュートの
紐を弦にして作られた三 線(カンカラ三線)を弾き、歌い、踊った。
カンカラ三線は沖縄の復興を象徴するものであり、その魂は現在に伝えられ、
沖縄県民の 県民性を象徴するものでもある。
この「KANKARA」という作品はアーティスト松田和久(まつだ・かずひさ)の祖父 が
残した「屋嘉節」を元に孫である和久がその魂を今の歌として伝えるべく制作された。

Performing Arts of Okinawa............ ..........Magazine『楽園 RAKUEN』vol28 で検索し
KANKARA  で聞けました。




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Posted by ポラン at 18:20 │沖縄